本をまだらに読むなんて

本を読む人は、いったん読み始めた本は何があっても最後まで読むという人と、つまらなかったら途中でやめちゃうという人に二分されると思います。あたくしは、どちらかといえば後者です。特に図書館で借りた本だったりしたら何の躊躇もなく途中で放り出します。そのことで特に自分を責めたりしたことはこれまでありませんが、どうしてもできなかったのは、「本のまだら読み」です。どういうことかと申しますと、いわゆる長編小説とか、1ページ目から最終ページまで地続きのひとかたまりとして扱われる書物の場合は原則としてそのような読み方は不可能でないにしろあまり意味がないと思われるのですが、短編小説集やエッセイなどのそれぞれ自己完結する小宇宙がいくつかより集まって一冊の本が構成されている場合、1から10あるうちの2と4だけを読んでも何ら問題はないわけであります。けれども、これまで、あたくしはそれができなかった。必ず冒頭から読み進めて、最初に申し上げたように、3くらいまで読んでつまらなければそこで放り出し、その書物とは永遠の別れです。けれども、3くらいまで読んでつまらないので、3を途中までにして4とかはたまた5を読んでみる、ということができなかった。なぜかと申しますと、3を途中までにして、4に進んで、つまらなくはなかったため、4、5と読み進み、10まで到達してしまった場合、3は読まれることなく終了するわけです。となると、果たして自分がその書物を「読んだ」ことになるのかはっきりしない、ということになり、小言を言うとふにゃふにゃ不明瞭なことを口走ってどっかに行ってしまう人みたいに、その書物と自分の関係性がなんだかよくわからないまま終了してしまうということになり、そういうあいまいな事態が許せなかったものと思われます。
「許せなかったものと思われます」など、すんでしまったことのように言っているのは、実は、最近、その「まだら読み」を平然と行っている自分にふと気づいたからです。好きな作家のエッセイを読んでいて、あまり興味のない話題が延々続いて退屈して、これまでなら間違いなくそこで書物を放り出していたにも関わらず、先のページを繰って面白そうな箇所を見つけて読んで端然としている自分に気づいて、はっとしました。ちょっと迷いましたが、最近読書以外の場面でもこういう従来の自分の中の慣習がなんなく打ち破られていることにふと気づくということが頻繁に発生し、おそらく人生行路の別の路線に移ったのだろうとそのときどきで自分を納得させていたので、これもその一環であろうということで片づけ、たまたま出会った友人に聞いてみたところ、長編小説でも最後の方を先に読むことがあると平然と返された。自由でいいということですね。

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砂猫
Posted by砂猫

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